『励まし』に傷ついてしまう…『気づき』のきっかけにできるチャンスに
障害のある子どもや、その親に対して「頑張って!」と励まされることがあります。
有難い言葉であるのは間違いないのですが、このような励ましを受けて、複雑な想いになったり、悲しくなったりした経験はないでしょうか?
声を発した方に悪気は1ミリもないでしょうし、むしろ純粋に励ましたかった、敬意を払って発した言葉なのでしょう。
ただ、励ましの言葉には、時として人を傷つけてしまう力も持っているということが言えます。
しかし、障害のある子やその家族に対する理解とサポートを促進するためには、そのような言葉にも積極的に関わり、意識的なコミュニケーションを心がけることが重要だと考えています。
他の人々にも同じような「気づき」を与えることができるかもしれないからです。
『励まし』が相手を傷つけていることもある
「障害のある子が頑張ってるよ」といった声を聞いて、傷ついた経験がわたしにはあります。
保育園の運動会で聞こえてきた言葉で、その時にはなんとなく複雑な想いになり、悲しくなったことを覚えています。
「頑張って!」といった励ましの言葉は、よく使われがちではありますが、逆効果になるということもあります。
それは「もう十分頑張ってきた」「まだ頑張らないといけないの?」「頑張りがまだ足りないの?」といった、価値観を押し付けられたように感じるからです。
もちろん、気力が溢れる時には、自分自身でも「落ち込んでいられない」「頑張ろう」と鼓舞して進むことができますが、そうでない時には重く感じて、落ち込んでしまいますよね。
『気づき』のきっかけになるチャンスに
ただ、今のわたしなら、「障害のある子が頑張ってるよ」という声を聞いたら、「わたしの息子です!すごく頑張ってるでしょ。毎日本当に頑張って生きてるんです。応援ありがとうございます。」と言える気がします。
それは、『気づき』のきっかけになるようなコミュニケーションをしたいと思うようになったからです。
何気ない一言で勝手に傷つくこともあるけど、こちらの姿勢次第で相手の立ち振る舞いも変わると思っています。
インスタに届いた『気づき』のきっかけになる工夫
周りからの言葉に対して、次のようなご意見をインスタグラムの投稿で頂戴しましたので、一部抜粋してご紹介いたします。
「頑張って!」との言葉を理解してもらうチャンスに
「悪気は無くて、素直に見てくれている。障害を抱えていると、頑張らざるを得ない事が多いからわかってくれるのは嬉しくもあり我が身を呪って悲しくもある」
「頑張って!」と言われる言葉に対して、多くの障害者の子どもの親が感じるご意見だと思います。
こちらの方は、このご意見のあとに、このように続けられています。
「自分を見てくれた証だから友達になって貰うチャンスにしちゃうのが多いです。押売りはしないけと理解して貰う事で頑張りのサポートをお願いし易くなる。」
「友達になって貰うチャンス」と捉えられています。さらには、「押売りはしないけと理解して貰う事で頑張りのサポートをお願いし易くなる。」とも。
このように理解してもらうチャンスにしている方がいらっしゃいます。
『〇〇が苦手な子』と見てくださいとお願いを
「私は、ダウン症の息子が地域の小学校に行くときに、ダウン症の〇〇くんじゃなくて、〇〇が苦手な子と言うふうに見てくださいとお願いしたことがあります。」
悪気がある言葉ではないのでしょうけど、やはり「ダウン症の〇〇くん」と言われると、いい気分にならないのは当然のことでしょう。
その中で、「〇〇が苦手な子と見てください」といったお願いは、とてもわかりやすく理解が進みますし、お互いにとって有益ですね。
まとめ
周りからの励ましの言葉は、プレッシャーになることや、悲しく感じてしまうことがありますが、もっともっと理解が進んでほしいと考えています。
障害を持つ子どもの親が、その言葉によってどう感じるのか、少し視点を変えれば発する言葉も変わってくるからです。
理解とサポートを促進するためには、積極的に関わり、意識的なコミュニケーションを心がけることも重要だと感じます。
「気づき」が他の人にも広がり、社会全体の理解と共感に繋がることを願っています。